先日東京のある小学校での給食の時のあいさつ
いただきますを給食費を払っているのだから言わさないでほしいと言うある保護者の方からのクレームが入ったと言うニュースを見て、その話を当山の貫主にどう思われるか聞いてみた。
答え 貫主 問 当山寺務長
答 どういう思いで保護者の方が話を学校側にしたのか考えてみよう。
まず、先生に挨拶をするのか学校にあいさつをするのか友達通しであいさつをするのか、できているのか。保護者は漠然として誰にいただきますを言えば良いのかわからなかったと考えられる。今デジタルの時代で携帯で色々な事を調べてもすぐに答えが出てくる。人に物を尋ねた時はありがとうと感謝の気持ちを伝えるだろう。しかしながら、機械にありがとうと伝える事がない時代となった。段々それが習慣化されて、当然のように自分の感謝の気持ちを伝える事が見えなくなってきたのではないか。
問 この家族は普段からいただきますをさせてないのか、あるいは保護者自身がお金を払っているのだから学校側に頂きますの挨拶をする必要が無いと考えたのか。って事ですか?
答 そこを掘り下げて考えてみるに、漠然とした事に対しての判断なんだろう。相手が見えないと言う判断のもとなのか。何に対して言葉を発するべきなのか考えが及ばなかったのでは無いか。子供の頃から食事の挨拶をしなければ食べさせて貰えなかった事を考えてみなさい。
いただきますの偈文
この食の来たるところを思い 己が業の大きと少なきとをはかり悟りの道を成し遂げんが為に我今この食を受けん いただきます
ごちそうさまの偈文
衆生馳走の賜物を今すでにうく、願わくばこの力いたずらに消す事なからん、ごちそうさまでした。
問 なるほど言葉としてだけでなく野菜を作ってくれた方への感謝、お米を作ってくれた方への感謝、肉を食べやすくしてくれた方への感謝、全ての関わる方にありがとうの気持ちを伝える、昼の給食の前には時間通りに当然の様に食事が出てくる、調理してくれた方、運んでくれた方、全てに思いを起こすべきなのではないだろうか。私達は生きて行く上において、食べ物を頂く事は欠かせない行いであります。その食に対して無駄に生活の中でエネルギーとして使うのではなく、全ての生き物に感謝し、成り立っている事を確認し、その食材の命を頂く、生き物の犠牲の上に成り立っている事を知らなければなりません。
言葉の大事さ会話の大事さをコミュニケーション能力を高める為には感謝を忘れずに言葉にして伝える事が大事なのだと再確認致しました。皆さまにも考えて頂きたいニュースをご紹介します。